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その五十二話 行庵手織

 水車撚糸業が盛んだった月谷町菅沢地区に染色家西形行庵氏の創作工房はあります。西形氏は、足利市に集積された伝統的繊維技術をもとに、手仕事によりあらゆる葉類を染料とすることから名付けた万葉染や草木で染めた糸を織って描く緒里絵の技法を完成させました。現在栃木県の伝統工芸品指定を受けた自らの手織技術の伝承に努める一方、公共施設等への大作を手掛ける他、ファッションメーカーとのコラボレーションにも取組み、国内外に広く作品を発信しています。


その五十三話 威怒神社とだんごろばん

 国譲り神話の武神にして悪疫除けの鹿島神、武甕槌命を主祭神とする大月町の威怒神社は、天正4年(1576)に村内の鹿島大神を遷したと伝えられています。江戸時代、同社の傍らにある地蔵が不吉に倒れていたため元に戻し、村を挙げてお祭りした祭、流行病の子供が願を掛けていた母親の目を盗み、供物の団子を食べたところ全快したことから広く崇敬を集め、その8月23日の夜を「団子を食べる晩」の意でだんごろばんと呼び、毎年お祭りするようになったと言います。


その五十四話 虫歯地蔵

 泣く子も黙る屈強な人でも歯の痛みには勝てません。菅沢天満宮の裏山に明治時代まであった浄因寺末寺見性院跡の共同墓地の中ほどに立つ小さな石地蔵を虫歯地蔵と呼ぶ人がいます。地蔵菩薩は、釈迦入滅後より弥勒菩薩下生まで衆生済度し、賽の河原で子供を救う守護仏としても信仰されていますが、このお地蔵様に団子をお供えすると虫歯にならないと伝えられていることから、墓参の祭には、子供たちが良い歯でたくさん食べて元気に育つようにと祈願したそうです。


あとがき

 時代の潮流の中で隅に追いやられ、薄れてゆく地域の記憶を伝えたいと思い立ち、浅学非才を顧みず一部を紹介させて頂きましたが、北の郷は昔から信仰厚い地域として知られ、神社仏閣が多く、それにまつわる旧跡の他、巡行仏や禁忌等の伝説もたくさん眠っています。出版に当たり、多大なるご協力を賜りました住職様、神主様、牧師様をはじめ、地元の皆々様に深く御礼申し上げますと共に、本文中の誤りにつきましてはご教示、ご叱正のほどお願い致します。


次回は2006年2月1日より第2集を連載開始予定です。お楽しみに・・・
北の郷物語は、全54話で足利市内主要書店にて好評発売中です。
2005年5月31日、第2集(全54話)も出版されました!

<第1集>

文・画/中島 太郎
(なかじまたろう)

昭和38年(1963)栃木県足利市
北郷地区出身。
旅荘巖華園代表取締役社長、足利商工会議所議員、足利旅館協同組合理事、緑がおいしい北の郷探偵団役員、のうすの会・民話商店会役員、足利文林会同人、栃木県立足利南高等学校評議員。「下野新聞」、文芸誌「足利文林」、タウン誌「みにむ」、「こならの森」等に連載。


<第2集>

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